2018年4月12日木曜日

過去 現在 未来






久しぶりにブログ記事の画像をデジカメで撮影してPCにダウンロードしていたら
ファイルの中にまだ懐かしい画像が残っていた。

日本に住んでいた頃に富士サファリパークを訪れた時のもので、
記録によると2013年の9月らしい。
パーク内施設で猫を撫でている下の子がまだあどけなく、懐かしさで胸が締め付けられた。
あぁ、こんな日もあったなぁ。

住んでいた場所からはドライブがてら行ける距離だったので、自家用車で行ったのだった。
富士山麓は突然の雨がありますと案内の方に聞いたので、
車に据え置きの傘を持参し、園内でカッパも買った記憶。

車内から撮ったらしい画像から、パーク内を自家用車で一周、
その後でまたバスに乗って回ったんだっけ。
行った記憶はあるけれど、細かい部分を意外と忘れている。
人間の記憶ってとても曖昧。







そのまま画像を眺め見て、サファリパークから数年後。場所はアメリカ。

日本から以前住んでいた北米に戻り、すぐに子供とよく行ったステイトパークへ行った。
同じ場所に存在する木、落書きのように木に掘られた数々の名前、
枝が二股になっている付近にあるハート形が健在で嬉しくなったのを覚えてる。
風景も空気の冷たさも全然変わっていなかった。
ただただ懐かしくて、気持ちがほっとしたっけ。








そして現在地点。
人間ってどこでも同じことをするものだなぁと思いながら撮った写真。
漢字もちらほら、木ではなく竹だということ、人の名前のスペルがアメリカとは違う。

写真を眺めながら過去を振り返って漠然と考えていたのだけど、
富士サファリへ行った時には
まさか将来こんな土地で暮らすことになるとは想像することなんて皆無だった。
国の名前すら、世界地図では指差しできるけど自分とはかけ離れた存在だった。

同様に、また今からの未来なんて予測すらできない。

こうしたい、こうなっていたいという個人的な希望はありはしても、
実際にその時々でベストな状況というものも変わりゆく訳で、
あまり細かくあれこれと心配して未来に対し不安感を募らせるのは馬鹿馬鹿しいなと、
富士サファリパークの写真を見ていてそんなことを考えていた。

現実に気分の浮き沈みはあるのだけどね。
それもまた人間なのでしょう。

今日も南国は頭にくるほど暑いです。


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